このことを一番に感じたのは、1997年の阪神大震災でした。
私は当時、大手ハウスメーカーのサラリーマンで神戸支店の西宮営業所に勤務していました。
私自身は大阪からの通いで、もちろん事の重大さは理解しているつもりでしたが、それまでの自身の建築に関する知識では、まさかあのような事態になっているとは、これっぽっちも思いませんでした。
実際には数万人の人々が家をなくし、街をなくし、人をなくしました。
少なからず復興のお手伝いをさせていただいているうちに、「家」の本当の意味がわかったような気がしました。
災害の後片付けが一段落すると、多くの方が自宅を再興されました。
家が完成し、引き渡しの時には涙を流していらっしゃる光景をよく目にしました。
今まで経験をしたことがないことです。
色々な思いがあったとは思いますが、家というものは人にとって無くてはならないものだということが、本当の意味で理解できました。
私は、建築家(けんちくや)として、この時はじめて、「家」というものがどういうものかわかったような気がしました。
家は街を作り、人を育てます。
私自身は本当に小さな個人ですので、大きなことはできませんが、私が生まれ育ったこの地域に、ほんとうの「家」づくり、「街」づくりのお手伝いができればと思っています。
私は、大阪・鶴見区の長屋で生まれ、狭小建売住宅で育ち、光化学スモックのなか遊び、ぜんそくになり、ヘドロだらけの川を見て育ってきました。
小学校までは、じゃりん子チエのような長屋にすんでいましたが、私が中学生の時に鶴見区のお隣、東大阪の建売住宅に引っ越しました。(といっても徒歩圏内ですが)戸建て住宅とはいえ、部屋数は少なく、個室がほしかったのですが、そんな贅沢は言えるはずもなく、私は兄と同じ部屋でした。
この空間は当時の私にとっては、あんまり好きではありませんでした。
高校を卒業と同時に、私は1人暮らしをはじめました。
アルバイトをしながら専門学校に通い、お金がなくなるとこの家に戻ってました(笑)
なぜこのことをお話しするのかと言うと、それは、私の建築の原点がここにあるからだと思うからです。
今、私は4.5帖程度のの空間がとても好きです。
当時は嫌っていた空間が今はとても心地よく思うのです。
ここでわかったことは、「家というのはその人の生い立ちに非常に影響する」ということです。
私達は「家を創る」ことを安易に考えません。
大袈裟かも知れませんが、家を創ることは、人を創ることだと考えます。
そして人と家は街を創ります。そして地域を構成します。
私達を育ててくれている、家・街・地域を一体として考え、家を創ることが、皆様の家の価値をあげるものと信じています。
花壇を作る。パブリックなスペースを作る。雨水を利用するなど、家を創る時、建築をする時はホンの少しだけ街に貢献することを考えて見てください。
そうすれば、きっといい家、いい街、いい地域になると思います。
そして綺麗な空や川、海をもう一度取り戻したいと本気で思っています。
私、建築家(けんちくや)松原光二はこのことを忘れずに地域に貢献し、みなさまの「家」を創ってゆきたいと思います。
・1級建築士事務所(ハ-18482) ・1級建築士大臣265879 ・CASBEE建築評価員01222-10 ・同戸建て戸00056-11
・応急危険度判定士07-阪-1261 ・適合証明技術者22270093 ・増改築相談員221182 ・住環境測定士補20050302300
・木造住宅耐震診断・改修講習修了 ・元大阪市立今津中学校PTA会長
1965年8月3日生まれ
大阪市立今津小学校
大阪市立今津中学校
大阪市立汎愛高等学校
修正建設専門学校卒業
1986年:荻田建築事務所
1995年:大和団地(現大和ハウス統合)
2000年:松建築工房設立
〒538-0042 大阪市鶴見区今津中1-2-9
TEL. 06-6964-0696
メール:info@house-aa.jp
JR学研都市線「放出」駅、徒歩約10分